巣鴨・駒込エリアを形成してきた歴史と文化

巣鴨・駒込エリアには、寺社仏閣など、歴史を感じさせるスポットが多い。眺めるだけで安らぎをおぼえる建築物などからは、いにしえよりこの地に親しみ、寺社仏閣を敬ってきた人々の心が時空を超えて伝わってくる。

巣鴨・駒込エリアを形成してきた歴史と文化1

巣鴨といえば“とげぬき地蔵尊”を思い浮かべる人は多いだろう。しかし、地図などにはこの名を大々的に掲げてはいない。というのも、とげぬき地蔵尊の名は通称なのだ。正式名称は「高岩寺」という。

高岩寺は、もとは慶長元(1596)年に江戸・湯島で開山された。この巣鴨の地に移ったのは、明治24(1891)年のこと。その後の第二次世界大戦の空襲により全焼、昭和32(1957)年に現本堂が再建された。

地蔵を祀るようになったのは、江戸期の武士・田付又四郎が、夢枕に現れた地蔵のお告げにならい、地蔵の姿を刷った紙10,000枚を川に流したことで、病弱の妻がすっかり平癒したことに由来するという。この地蔵は「延命地蔵」と呼ばれ、高岩寺の本尊になっている。秘仏のため、残念ながら非公開。一般には見ることができない。

“とげぬき”の由来は、毛利家の女中が誤って針を飲んでしまった際、この地蔵菩薩の御影を飲み込んでみだところ、針を吐き出すことができたという伝承によるとか。出てきた針が御影に刺さっていたともいわれていたため、“とげぬき地蔵”の別名ができたらしい。

巣鴨・駒込エリアを形成してきた歴史と文化2

高岩寺の本尊へ参詣したら、本堂左にある「洗い観音」の利益にもあやかりたい。自分の体の中で治したいと願う部分を、石でできた聖観音像の体の該当部分に見立て、洗ったり濡れタオルで拭くと快方に向かうという言い伝えがあり、いつも人の列ができている。

現在の観音像は、2代目。以前はたわしで洗っていたために体がすり減ってきたので、平成4年に代替わりが行われた。

巣鴨・駒込エリアを形成してきた歴史と文化3

高岩寺は巣鴨地蔵通り商店街の中にある。この商店街の巣鴨駅側の入り口にあたるところにある「眞性寺」も、霊験あらたかな仏閣として人々に敬われている。

巣鴨・駒込エリアを形成してきた歴史と文化4

創山の年は不詳。境内にある松尾芭蕉の句碑が元和元(1615)年のものとされているので、それ以前よりあったと考えられている。一説には、奈良期の聖武天皇が勅願し、行基菩薩が開いたという説も。

江戸と呼ばれる時代には「江戸六地蔵」なるものが定められ、旅の無事を祈るよりどころとなっており、かつての交通の動脈・中山道沿いにある眞性寺もその一つに選ばれ、6つ建立された地蔵の中の4番目に位置づけられることとなった。地蔵像は正徳4(1714)年に建立されたが、いまも残っており、人々がそっと手を合わせていく。

ちなみに平成22年2月現在、地蔵は修復のため京都へ送られ、“代打”の地蔵が円座を守っている。戻ってくるのは同年5月なので、毎年6月24日に行われる「江戸六地蔵の百万遍大数珠供養」には新しい姿で戻ってくるはずだ。

巣鴨・駒込エリアを形成してきた歴史と文化5

駒込にある「染井稲荷神社」は、300年以上も前に建てられたといわれている古い神社。いでたちこそ小さいが、持っている伝承は大きな印象を残す。関東大震災や大戦で起こった火災にでも拝殿・本殿ともに焼け落ちなかったことから「火防の神」として信心されているのだ。

巣鴨・駒込エリアを形成してきた歴史と文化6

いつもは静かに染井の地を見守っているが、9月15日前後の日曜には「染井稲荷神社例大祭」が催され、神輿なども繰り出して、大にぎわい。過去より連綿と受け継がれる神事は、まさに江戸の祭りにふさわしい勇壮さをまとっている。

ほかにも、江戸幕府の5代将軍・徳川綱吉の側用人だった柳沢吉保が造築したことに端を発する「六義園」や、大正期からの歴史を持ち、国立国会図書館の支部図書館にも位置づけられている「東洋文庫」など、馥郁(ふくいく)とした歴史の香りをそこに残す巣鴨・駒込エリア。

まちからどことなく発せられる気品は、こうした過去の遺産に恵まれているところから来ているのかもしれない。

巣鴨・駒込エリアを形成してきた歴史と文化7