常に時代の先端を行くエリア、横浜・新子安

江戸の昔、東海道五十三次の品川、川崎につぐ3番目の宿場「神奈川宿」として栄えた現在の神奈川区。東海道有数の景勝地にも近く、目の前にせまる海の幸にも恵まれていたため、海に面して旅籠が建ち並ぶ宿場は物見遊山で訪れる多くの旅人で1年中賑わっていたという。それが、のちの第一京浜(国道15号線)になった。

第一京浜は現在、東京~横浜間のメインルートだが、じつは東海道とほとんど同じルート。そして、大半が京浜急行に寄り添うかたちとなっている。JR、京浜急行、第一京浜、首都高速など抜群のアクセスで物流の拠点にもなっている新子安周辺はそんな街道の歴史のもとで発展してきた。

神奈川宿には幕末まで、江戸湾(現在の東京湾)でも有数の規模を誇る神奈川湊があり、陸・海路の要所として栄えていた。安政5年(1858年)日米修好通称条約が締結された後、アメリカ総領事ハリスによって、神奈川湊も開港の場として選ばれていたが、幕府の重要拠点でもあった神奈川宿で外国人とのトラブルが起きることを恐れ、近隣の山下公園周辺を開港場に変えたのだ。

山下公園

開港によって今まで見たこともない西洋文化が流入してきた横浜は、「日本で最初」が数多くあるまちになった。港近くに造られた馬車道には日本初のガス灯が灯され、「あいすくりん」と称されるアイスクリームの店の第一号がオープンし、ほかにもビール、クリーニング、乗合馬車などすべて横浜が発祥の地に。諸外国との貿易により上陸してくる、新しい文化の発信地として先端文化に敏感な人々が集うこととなった。

さらに、横浜港は明治の頃より何回にもわたって整備の工事が行われたため、近代的な港に変貌を遂げ、わが国第一の国際貿易港となった。埠頭を通じての貿易額は年々増加し、日本の産業を支えてきたといっても過言ではない。周囲では海に面した工場用地の埋め立てが進み、横浜周辺は京浜工業地帯に発展。首都高速道路や横浜ベイジブリッジなどの建設も進められた。現在観光スポットにもなっている横浜ベイブリッジは、東京港方面と横浜港を結ぶ港湾物流の一端を担い、都市部の渋滞を緩和する輸送路としての重要な役割を持つ。

corumn

このように、まさに時代の先端を切り開いてきたエリアといえる横浜・新子安界周辺。新時代を切り開いてきた精神が強く受け継がれているためか、横浜市では行政面でも先進的な取り組みを行っている。横浜市が昨年策定した「基本構想」では、長い時間をかけて実現する大きな目標「市民力と創造力により新しい『横浜らしさ』を生み出す都市」を掲げているが、それを具体化するための今後5か年計画では横浜の未来を創っていくうえでの原動力となる事業を「3つのリーディングプロジェクト(先導的事業)」として位置づけ、重点的に取り組むこととしている。

まず1つ目の「横浜型環境行動推進プロジェクト」では環境行動都市横浜を目指し、『ごみ減量・リサイクル』という課題に対しては平成22年度における全市のごみ量を平成13年度に対し35%削減するというように具体的な目標を設定。『地球温暖化防止』や『緑の保全・創造』という課題も同様に市民一人ひとりの知恵と行動で地球環境を守るように促している。2つ目の「ヨコハマ魅力創造プロジェクト」は、世界に発信できる文化芸術の振興などを目的としたソフト面の施策と、都市整備を目的としたハード面の施策を連携させ、まちづくりを総合的に展開するというものだ。3つ目の「地域元気プロジェクト」は、豊富な地域人材と活発な市民活動が連携した地域運営の仕組みづくりにより、「少子化問題」「高齢者・障害者の自立支援」「安全・安心」などへの対応にも市民力を発揮させる取り組みだ。

社会情勢や市民のニーズなどに敏感に反応し、的確な施策を創り上げる横浜市はさすが進取の気性にあふれている。平成21(2009)年には、開港150周年という大きな節目の年を迎え、なお国際都市としての活力を創造しつづけ、未来への期待を感じさせてくれている。近隣の新子安駅前も大規模開発によって2002年に複合施設オルトヨコハマが誕生するなど、その進化ぶりはとどまることを知らない。

このページをご覧の方はこんなページもご覧になっています。