歴史を感じられるものが残されているという、幸せ。
「川越街道」が、「川越街道」と呼ばれるようになったのは明治時代以降の話、だそうだ。それ以前は「川越往還」「川越道中」などと呼ばれていたらしい。この街道の4番目の宿が、現在の朝霞市にあった膝折宿、5番目が現在の新座市の大和田宿、そして6番目が現在のふじみ野市にある大井宿である。
この街道を整備したのは川越藩初代藩主の松平信綱で、中山道の脇街道という位置づけだったそうだ。その信綱が没後、祀られたのが新座市の平林寺。信綱は、この地の農業を盛んにさせた野火止用水の整備工事や新河岸川の改修工事の責任者でもあった。それだけの功績者が、広い平林寺に祀られるのは当然のことかもしれない。
野火止用水は戦後、本来の役目を終え、撤去される計画もあったようだ。しかし地域住民の人たちからが存続運動を起こし、今も水路として活用されている。合理化だけでは全ておさまるものではない、ということを体現した地域住民の人たちのおかげで、この地の歴史が垣間見える「遺産」が残され、私たちはその歴史を感じることができるのだ。
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