変わりゆく相模原市

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東京都心や横浜へ直結する広域交通網が発達している「相模原」はベッドタウンとしての人気が高く、市内に大学が多数あることや、周辺都市の大学も相模原市内の駅を最寄りとする場合が多いため、学生街としての顔も併せもつ。

「相模原市」が市制施行された1954年(昭和29年)には人口約8万だったのが、その4年後、市街地開発地区域第一号に指定されたこともあって、全国でもまれにみる人口急増を続けた。2006年に旧津久井町と旧相模湖町と合併、さらに2007年には旧城山町と旧藤野町を編入して、新「相模原市」が誕生後、人口は70万以上に。それは神奈川県内では、横浜市、川崎市についで第3位の人口規模で、面積上でいうと神奈川県内においては横浜市についで第2位だ。

じつは太平洋戦争前には「相模原」を「軍都」としようとする計画があった。
敗戦により、軍都計画は消滅したが、軍の諸施設の多くは米軍に接収され、相模原は基地の町となった。しかし1974年にはキャンプ淵野辺が日本政府に全面返還され、1981年には相模大野の米陸軍医療センターが日本に全面返還されるなど、基地問題への取り組みが実を結ぶようになってきた。また、戦前の神奈川県が主体となって着手した軍都計画による相模原区画整理事業で整備された街路網と水道設備は先進性が高く、1960年代以降の急激な都市化の基盤となった。計画の中で縦の軸とされた街路は、「市役所前通り」として戦後整備され、桜並木が植えられた。横の軸とされた街路は現在、国道16号線となっている。

相模原 政令都市 3

「相模原市」はいま、横浜市、川崎市に次ぐ県内3番目の「政令指定都市」への昇格に向けて活発な動きを見せている。「政令指定都市」とは、「政令で指定する人口50万以上の市」をいうが、実際には「人口80万以上で将来的に人口100万程度に増加する見込みのある都市」が指定を受けている。一方、国の「市町村合併支援プラン」では、大規模な合併をした市については、「政令指定都市の弾力的な指定を検討する」こととなっている。そのほかの条件となるのは、人口密度や産業別就業者比率、都市形態、行財政能力、行政区の体制などで、他の政令都市と総合的に比較検討され、ふさわしいと認められた都市が指定を受けることになる。相模原市は人口が昇格要件70万を超えたことを踏まえ、2010年3月末までの政令指定都市移行を目指している。

「政令指定都市」へ移行できた場合のメリットは、ひと言でいえば、大きな権限と財源をもつことができることにある。現在、保健福祉や土木、都市計画、教育行政などの分野で、県が行っている多くの事務を市が直接行うため、的確な対応をスピーディーにできるようになるという。また、新たな財源(石油ガス譲与税、軽油引取税交付金、宝くじ発売収益金)が見込まれるので、市が自ら決めたことを自らの責任で推進することができるようになるのだ。
そして、国内有数の大都市として認められることは市の知名度やイメージアップにもつながる。このことにより、新たな企業立地や雇用機会の拡大、大学の進出など、都市の魅力がさらに高まることも期待される。区役所を設置して日常生活に密着したサービスを行えることも、政令指定都市制度の大きな特長だ。区ごとの個性を活かしたまちづくりを進めることができるようになるという。

相模原 政令都市 2

市域を縦横に幹線道路や鉄道路線が走る「相模原市」では、今後、さがみ縦横道路などが整備されると、広域交通網の機能がさらに高まり、県内外との人・もの・情報の交流が一層活発になると考えられている。
さらに、かねてより誘致していたJR東海のリニア中央新幹線について、今年9月20日、松沢県知事が、相模原市内に新駅を設置する方向で国やJR東海と協議する方針を示しており、いよいよ現実味を帯びてきた。市内に新駅が設置されれば、神奈川県の北の玄関口として、一層の発展が期待できそうだ。

広域交通ネットワークがますます充実しつつある相模原市は、周辺都市をリードする存在になることは間違いないだろう。

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